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#153 ゴッホ伝(18日目)

4/21(水曜日)

さて今日は、天気が悪かったため一路、ゴッホ美術館へ行きました。
本日、ゴッホ君の壮絶な人生を、小春日和のようなタッチで表現してみます。

その前に、その道の途中にあるシンゲル運河の花市場から。

IMG_2756.jpg

アムスの街には無数の運河が流れ、ヴェネツィア以上の水の都になってます。
その1つのシンゲル運河沿いには、花市場が並んでいます。

写真ではお店の後ろ側しか見えませんが、ずらっと並んでます。

IMG_2760.jpg

そろそろチューリップも出始めているけど、まだまだ冬のためひかえめ。
40本で1000円程度と、ロットは大きいけど安い。色とりどーり。

IMG_2766.jpg

求婚も売ってます。ただし、証明書がないものを買うと帰国の際、
検閲でごちゃごちゃと一悶着になります。

IMG_2774.jpg

街の途中には、スタンディングのファーストフードもあり、
これがカリーブルストに続くアムスのB級、クロケット!
例えるならチキンクリームコロッケ?みたいな感じです。どこかなつかしくておいしい。

IMG_2789.jpg

さて、そうこうしているうちにゴッホ美術館へ到着です。
1人€14で3Fからなるこじんまりとした美術館で、ゴーギャンもいくつか所蔵。

page4_blog_entry316_1.jpg
           (自画像 1887)

1853年生まれ。
フィンセント・ファン・ゴッホ。
かなりの文通好きで、弟宛の手紙が多いため没後も人となりを知ることができる。

じゃがいも
          (じゃがいもを食べる人たち 1885)

27歳。オランダを出る
教師や説教師などの職を転々としたけど、うだつがあがらず、画家になると言い出す。
家族に反対されたかどうかは分からないけど、とにかく誰も才能を期待してなかった風。

その後、両親達と住み始めたけど、なんと思いがけないことで不仲になる。
未婚+子持ち+妊婦のシーン・ホールニクという女性と関係を持ったためなのである。
このあたりは、きっと「渡る世間は鬼ばかり」なのである。多分。

とにかくそんなこんなで家を出て、あこがれのミレー先生(落ち穂拾いで有名)
のように田舎で農民画を書こうとするが、田舎過ぎて画材もモデルもいなくて、
しぶしぶ両親の家に帰ってきたあたりは、ちょっとオチャメなのである。

しかし、両親は引っ越ししていたため、独り暮らしとなるゴッホ青年。
そして無心で絵を描き始め、上の「じゃがいもを食べる人たち」を描き上げます。
自分の技術を見せるためにむずかしい構図にしたのだけど、かなり手ひどく
批判され続けましたが、気にせずパリへ向かうことにしました。

ゴーギャン
          (ゴーギャンの自画像)
30歳。パリへ
さて踏んだりけったりなゴッホ青年は、パリに降り立ち衝撃を受けます。

 「みんなほんと明るい色使ってるなルノワールとか。真似するか。」

そんな感覚で最新トレンドを感じ、またパリの画家達と友達になり、
いろいろな影響を受けるのでした。(弟の家に居候してます)

なかでも上の自画像のゴーギャン君とはかなりのマブダチになりました。
画を褒めてくれたのがうれしかったらしいです。
(ちなみにこのころ、弟に生活費ゴメンネって手紙書いてます)

きいろいいえ
          (黄色い家 1888)

35歳。男盛り。フランス南部アルルへ。
パリの喧噪に疲れ、アルルという田舎へ移住し、芸術家共同体なるものを作りたくなる。

色々誘ったけどもだれもこない。
ところが、ゴッホ君のしつこさにとうとう折れたゴーギャン君が来ることになった。
はりきってこの「黄色い家」を借りることにした。

ひまわり
          (ひまわり 1889)

36歳。ゴーギャンと同居中。
いつの時代もルームシェアは難しいのである。
12月のある日、ひょんなことから2人はケンカする。

それがデスパレートな画家たちに発展し、ゴッホ君はカミソリをもって襲いかかる。
が、なぜか最後は自分の耳を切り落としてしまう。

この時、てんかんの一種が原因の錯乱状態になったため緊急入院。
入院中も何度も発作を繰り返し絵が描けなかったため、
書けなくなる恐怖と戦いながら、描ける時はとにかく夢中で描いたらしい。壮絶。

オーベール
          (オーヴェール教会 1890)

オーヴェール村で療養中。
この芸術の村では、自身も画を描く精神科医のガシェと出会い、意気投合したり
村の美しさに興奮したりして、一ヶ月で80点もの作品を描き上げるすごい時期。
手紙では、「僕は機関車のようだ」と豪語。やっぱりちょっとオチャメなのである。

カラス
          (カラスの群れ飛ぶ麦畑 1890)

37歳。人生の終わり。

このころようやく作品が認められてきました。
でもゴッホ君は不安で一杯でした。
ずっと弟家族の世話になっていたため、
自分が足手まといなのではと感じたりしてました。

1890年7月27日
畑のまんなかで自らの胸をピストルで打ち抜き、その2日後に息を引き取りました。

(おわり)



まじめな話をすると、彼の没後には多くの人がその芸術性に魅せられました。
恋に破れ、世間には認められず、病に苦しみ、最後は自ら命を絶ったという
彼の壮絶な人生に対する悲しさが、彼の芸術に強烈な魅力を持たせています。

上ではちょっとふざけて彼の人生を書いていますが、
その芸術に捧げた凄惨な人生の苦しさのようなものは、生で見れば凄さが感じられます。
画家になってから、たった10年しか生きられなかった男の凄みです。

有名な作品だけではなく、彼の軌跡を辿ることができるこの美術館は
とにかくオススメです。


人気ブログランキングへ ユーから異臭がし始めてきました。清潔にしてください。
 剣道部の部室?そんな香りが漂ってます。
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コメント

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No title

素朴な疑問。。。おじゃんになった飛行機代って返ってくるの?

ヨーロッパって街なかの運河の風景が綺麗やね。
大阪の「ゲッ」っていう風景を見てるからそうとうな違いを感じるわ。

ゴッホ・・・まさに燃焼系の壮絶な人生やね。
「耳」と「自殺」のことしか知らんかった。
わかりやすい解説をありがとう!勉強になった^^

部室の香り・・う~ん・なんとも懐かしい・・っておいっ!(笑)
ユーさ~ん!苦情でてますよ~(笑)
あっはっは!

majiro

Author:majiro

企画マン まじろー
(写真:右)
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2009/2
 サラリーマン卒業!
2009/5
 フィレンツェでコック修行!
2009/9
 プーリアでコック修行!
2010/4
 ヨーロッパ旅行
 『世界の緑から』へ出発!
2010/5
  帰国。(東京→三重へ)

デザイナー  ユー
(写真:左)


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